月別アーカイブ: 2007年1月

情報の欠如

仕事柄、(全てが等価値で無い)いくつもの情報から判断を必要とすることがあります。
もちろん、上司も私以上の無数の有形無形の情報から判断しています。
役職や立場が上になればなるほど、情報がたくさん入ってくるようになります。

一方、その情報は詳細では無く、サマリーされたものになっています。
ひょっとすると報告者にとって都合の悪い情報はあえて伏せられたままかもしれません。悪意が無くてもサマリーの仕方がまずく本来必要な情報が欠落していることもよくあります。

当然、判断を下す際に詳細を知ることが必要になりますが、それを理解する、または説明してもらう時間が無い場合が多く、結果、それが判断を難しくしているのでは無いのでしょうか?
大局的な観点で、かつサマリーを聞いた段階である程度の判断を下せて、その結果が(大正解でないにしても)大きくは間違っていないことが上司、管理職としての能力なのかな?と思います。

※注意:この記事は旧サウスポーなエンジニアの独り言から移行し一部修正したエントリです。

Photo via Visualhunt.com

文章の揺らぎ

どんな職種でもそうですが、ことSEになると「他者に意図を過不足なく伝える」資料(文章、図形問わず)を書くことが多くなります。

ここで言う他者とはお客様・・・この場合は提案書や要件定義書・・・の場合もあれば、プログラマー・・・この場合は設計書等・・・もあります。
今回は主に「プログラマー」に渡す設計書について書きます。

その資料に”揺らぎ”(複数の意図に取れる)があると受け取った側は質問等をして時間のロスが発生します。
悪いことに、設計書を渡した後は、だいたい設計者は別の仕事をしているため、回答を考えるためにさらに時間がかかります。

まだ質問をしてその”揺らぎ”を確認出来れば良いのですが、受取人の解釈のみで進めると(そしてそれが意図した内容と違うのはよくあります)、大きな手戻りが待っています。
こういうことがよく起こっていくとデスマーチへの歩みを初めてしまます。

また、後日見直した時にもその”揺らぎ”が原因になり、意図が分からないことが起こります。
設計者は”揺らぎ”を意識して「こう」としか解釈しようのない設計書(文章)を書くよう努力する必要があります。
極論ですが変に誤解される設計書より、訳が分からない設計書(=そのままでは作れない)がマシかもしれません。

「相手が質問しなくては分からない」もしくは「自分の意図と違う風に理解される」文章は”揺らぎ”があり、本来の目的を果たせていない(結果としてそれを作った人の仕事=責任を果たせていない)と思います。

※注意:この記事は旧サウスポーなエンジニアの独り言から移行し一部修正したエントリです。

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